5限目、音楽。/声楽家 柚季純

音楽を通して、人と人との輪、地域と地域の輪を広げる、音の旅。夏の気配が増す山県美山を、声楽家、柚季純と訪ねました。山間に佇む廃校レストラン、昔は小学校だったこの場所で、どんな出会いがあったのでしょうか。

私たちは、自分で考えているよりずっとたくさんのことを記憶しているのかもしれない。すっかり忘れていたと思っていた記憶が、何かをきっかけにして、たたみじわを伸ばすように蘇ることがある。

声楽家、柚季純。
7月のある日、私は小学校の頃の記憶の中にいた。

明日は小さなコンサートを企画している。最後の通しが終わった後、友人に誘われるまま横浜線に乗った。電車を乗り継ぎ、たどり着いた場所は岐阜県山県市。慣れた様子でバスに乗り換える友人は、いつものように他愛もない話をしている。まばらな乗客の車内。気だるい時間が流れる。

岐阜駅から市内を抜け、林道をぐんぐん上がる。まさに山道。この先に廃校を利用するレストランがあると友人は言う。素敵だと思う半面、こんな山奥に学校があるなんて、と不思議に思い、さらに道の先に目をやった。幾つかの集落を越え、到着した旧北山小学校。なるほど、これだけ集落があれば学校があっても不思議ではない。

校舎の中に入ると、まさに小さいころに通っていた「学校」という建物。小学校には独特な匂いがあると思う。今は廃校レストランとして使われる校舎も、なんだか懐かしい匂いが残っている。初めて訪れた気がしない。

教室の開けた窓の外には青空。セミの声。時折、夏の風が入ってくる。
この懐かしい感覚はなんだっけ。
そうだ、昼休みに友達と遊んだあとの、少し気だるい空気が漂う5限目の授業だ。

窓から見える風景を見ていたら自然に歌いたくなった。学校が現役だった当時から使われていたピアノがある。鍵盤に触れながら、数曲を歌う。思うままに歌うのはいつぶりだろう。最後は千昌夫さんの「星影のワルツ」。ふと振り返ると、ハンカチで目頭を抑えていたのは、他の地域からお嫁に来てもう40年余りにもなるというおばあちゃん。切ない思い出のある曲だったという。多くを語らなくても、歌を通じて心が通った気がした。

忘れていたあの頃に、タイムスリップした山県への旅。

後から考えると、年を取ったなあと思う。授業で歌っていたころは何とも思わなかった曲が、どれも無性に郷愁を掻き立てる。いや、年を重ねてやっと、歌の持つ本来の良さがわかるようになってきたのかもしれない。そうだ、音楽の授業でいつも寝ていた細谷君、元気かな。

山県で出会う旅

2016年・夏、山県美山への旅