
サンカクの木
子どもの頃、お絵描きの時間に描いていた木のイメージは、棒のような細長い茶色の幹に、その四分の一くらいの高さの三角の緑がちょこんと乗った、全くもってアンバランスな形だった。
初恋のまりちゃんに「木はこう描くんだよ」とお手本を見せられても、まりちゃんは好きだがこれはこれ、と頑なに自分なりの木を描き続けた記憶がある。同じような木を、沢山、ひたすら。

そんな僕は高校生になり、周囲が驚くほど緻密な絵を描くようになった。
この形を逃すものかと、まばたきをするのも惜しいくらいにモデルと紙を睨み続ける。
外が暗くなり、誰も居なくなった美術室の鍵をしめてから帰る毎日。
僕にとって絵と向き合う時間は、何もかも忘れて没頭できる、唯一の居場所だった。
芸大を二浪して、全てをやめるまでは。

「娘さんをください」
「娘さんと、結婚させてください」
運転席の「娘さん」がにやにやしている。
冬にしては穏やかな陽射しがさす中、僕だけがこれから起ころうとする人生最大の難関に震えている。
彼女の実家は山県市のなかでもずいぶんと山奥にあって、僕の運転では心もとないと、
山道の手前でハンドルをなかば強引に奪われた。
なんだかちょっと切なかったが、助手席で文言の推敲に集中する。

「娘さんとの結婚を、」
「ねえ娘さんてなんか古くない?」
彼女が慣れた手つきでカーブを切った瞬間、息が止まった。
視界に飛び込んできた木。
細長い棒のような幹に、ちょこんと乗った緑の三角の帽子。
一本だけでなく、何百本も、何千本も。山が全部、アンバランスな木の集合でできている。
「おもろい形しとるやろ。美山杉っていうんよ」
僕の視線の先をたどった彼女が教えてくれた。
「まっすぐ伸びてるから、柱にぴったりなんやって」
もう何年も嗅いでいない、画材の匂いが蘇る。僕が描いていたのは、この木だったのかもしれない。
子どもの頃の僕が、ふと画用紙から顔をあげて笑ったような気がした。
「聞いてる? もう着くよ」
彼女の声で我に帰ると、少し先の家の前で、初老の夫婦が手を振っていた。