歩く意味

山県では歩く。自分の中ではそう決めている。山県を巡る方法の基本はもちろん車だ。バスもあるけれど、中々時間の調整が難しい。歩くと、いろんなものに出会うし、いろんなものが見える。もちろん、車ほど早くないし、移動距離も少ないけれど、歩いた分だけ、移動距離が短い分だけ、たくさんのものが見られる気がしている。何より、あること、ちょっとした会話から人と仲良くなれるのだ。そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ顔を知っている人ができて、はじめは山県に行くことが目的だったけど、いつの間にか、その人たちに会いに行くために山県を訪れている。東京だと、街を歩いていて、会釈して挨拶することは無い。それが常識になっているから、ふと街で顔をあわせて、「最近どう?」と言葉を掛けられると、話半分で、ああいいなと思っている。だから、ふと頭をよぎることがある。そこに暮らす人がいなければ、僕が山県を訪れる意味はなくなるのではないかと。いやきっとなくなるだろう。