電気がない頃は灯火の光で人々は暮らしていた。太陽が昇れば目覚め、太陽が沈めば休む。そんな自然と寄り添ったリズムで生きていたはず。寺社仏閣の参道も、太陽の通り道。日射しがあれば作物は育ち、身体も温まる。生きるためには欠かせない太陽のありがたさを、山県は教えてくれる。山にくっきりと浮かんだ日陰と日なたのコントラストを見て、少し昔の人々の生活を想像してみるのはどうだろう。きっと、町での生活に戻ったときのちょっとした気持ちや選択の変化になると思うから。
山県では歩く。自分の中ではそう決めている。
夏にはバーベキューや川遊びに興じる人もいる円原川でひときわ大きな河原。そこに降り立つには、朽ちはじめた木の小橋を渡るという小さな冒険が必要です。
円原の伏流水へ向かうために、美山を訪れた際に撮影した透き通る川の写真です。
居心地のいい場所は、少ない。そして改めて思う。山県は数少ない居心地のいい場所だ。
地道なことをしていると投げ出したくなったときは、写真の陰影のことを思い浮かべてみてください。ちょっとだけ根気強くなれるかもしれません。という話。
山県市のレトロミュージアムで、父とのかけがえのない思い出に久しぶりに出会った。
「伊自良連柿」は、山県・伊自良地区だけで作られる干し柿。秋の風物詩です。
春がまだ本格的に到来していない山県で、日の光をさんさんと浴びている梅の花に多くの蝶が舞っていました。
目指す場所だけを見て、まっすぐと進む。ただ、そこへ進めばいいだけなのにとふと思う。
年ごとに花は咲くけれど、それを見る人は年ごとに違う。