
ダンサー・イン・ザ・ヤマガタ
音楽を通して、山県を見つめなおす、音の旅。今回は、冬のからりとした空気が心地よい山県をダンサー工藤綾乃が訪れます。山で無心になる。みなさんにはどんな音が聴こえてきますか?
ダンサーというのは不思議な仕事だと、つくづく思う。
ダンサー、工藤綾乃。
12月のある日、私は友人に誘われるまま岐阜・山県に向かっていた。
世の中広しと言えど、さあ踊ってください、と仕事を頼まれる人もなかなかいないだろう。しかも今回に至っては、私の理解が足りないのか、友人が説明の勘所を外したのかよくわからないけど、行けばわかるの一辺倒である。
岐阜駅から山県に向かうバスの中では、もはや仕事の話はなくなり、友人は差し迫った忘年会の話ばかりしている。

私がダンスのおもしろさを知ったのは、高校に通っていた十代のころで、もっとさかのぼれは小学校の頃だったと思う。ダンス教室で聞こえてくる音楽に、きまって心がわくわくして、そして、たくさん踊った。
最近思うのは、そのころの踊りと、今の踊りに本質的な違いってないんだなということ。何に違いがないかというと、踊れたなと思うときは、自分の感情に素直に体を動かせたとき。自分の感情と外の世界を、踊りがパーフェクトにつないだ感覚だった。

毎年、忘年会の二次会がろくなもんじゃない。
まだ、友人は忘年会の話をしている。
要約すると、新橋の雑居ビルにあるしなびた歌謡曲バーで、居合わせたサラリーマンと、記憶が薄れてきた歌詞をたどりながら、往年の歌謡曲で踊る、そんな忘年会の二次会が数年続いているという話。なるほど、私の踊りと同じで、友人にとってのその空間は、1年を振り返ったときに出た、なにかの想いの形なんだと思う。
バスが着いた先は、まわりを山に囲まれた場所。晴れているのに、雨がちらちらと降る夕方の山間。少し歩けば、草と土の匂い。なるほど、こいうことかと妙に納得してしまった。踊ろうと思っていた普段の型を捨てて、すっと深呼吸をして、ステップを踏んだ。山で無心になるって、とっても気持ちいい。
それでも、私はあらためてはっきりと言いたい。
もう少し説明してくれても良かった。さすがに、バレエシューズで踊る場所ではない。
あと、最後にもう一つ。
今年もあと少し。
忘年会を楽しめる人は、今年精いっぱい頑張った人だと思う。